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■校訓
溌 剌はつらつ(体) |
身体を鍛錬し、常に溌剌と気力にみちてあれ。 |
躍 進やくしん(知) |
学問に沈潜し、知識を磨き、日々躍進せよ。 |
玲 瓏れいろう(徳) |
実践を重んじ、修養に励み、玲瓏の若人となれ。 |
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■由緒ある学舎
本校の校舎が建っている敷地は、かつて薩摩藩時代の名刹であった「玉龍山福昌寺」が500年の歴史を刻んだ跡です。この福昌寺は旧藩主島津家の菩提寺であったと同時に、藩内随一の学問所として教育・文化の一大中心を成していました。
明治維新の原動力になった西郷隆盛や大久保利通も、当時の住職無参和尚(むさんおしょう)の下に通って指導を受けています。この由緒ある史実にあやかり、「行学一体(ぎょうがくいったい)」の鍛錬精神と「文武両道」の精神を本校教育のよりどころとし、その象徴として校名が「玉龍」と制定されたのです。
平成2年、創立50周年記念事業の一つとして新体育館が建設されましたが、その発掘調査のとき、寺門のあった場所から中央部のへこんだ大きな踏み石が出てきました。それを見ていると、わらじ履きのすずやかな目をした若い学僧たちが、行脚のために出入りする様子が目に浮かんでくるようです。「雨垂れ石を穿つ」という言葉がありますが、人間の日々の研鑚も石を穿つのであります。
本校は、このような学問の場にふさわしい環境のもとで、偉大な先人の精神を台木に青少年の心を接ぎ木し、新しい時代の教育の殿堂にしようと、鹿児島市が創立した普通高校です。
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■沿革
- 1950年4月 - 鹿児島市高等学校改組に伴い、第一部と第三部普通科が統合し「鹿児島県玉龍高等学校」と改称。全日制普通科課程、男女共学として発足、新たな校地として玉龍山福昌寺跡への移転が決定、工事開始。校舎完成までは市高等学校第一部校舎を使用。
- 1951年1月 - 現在地に移転
- 1951年2月 - アメリカ民事部主催の学校図書館コンクールにて県下第一位となる
- 1952年4月11日 - この日を本校の開校記念日と定め、「勧学祭」を実施
- 1954年11月 - 全校舎の新築落成、落成式挙行
- 1957年 - 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校と改称
- 1965年 - 創立25周年記念式典挙行・校訓の制定
- 1990年 - 創立50周年記念式典挙行
- 2006年 - 鹿児島玉龍中学校を併設、中高一貫校となる
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